東海道五十三次
世界的巨匠広重は、生涯を通して「東海道シリーズ」の作品を二十数種類制作している。
その中でも最も傑作といわれるのは、一番初めに描いた出版元保永堂で刊行した「東海道五十三次」である。
この作品こそ爆発的売れ行きを見せ、広重をして一躍浮世絵界のスターダムにのし上がらせた。その理由は、先ずそれまでに描かれた「東海道シリーズ」には見られない最も大きな大判(約39センチx27センチ)というサイズで描き上げられていること、次にこの全五十五枚で完成している作品は「まのあたりそこに行たらむここち」にさせるものであった。その画面は変わりゆく宿々の自然と融和した旅に行く人々の姿を巧に活写し、しかもそれに朝焼け・霧・雨・雪・風のシーンを絡ませ、その中に叙情的な画面を見事に描き出した。これらは浮世絵風景画の初めての試みといえよう。
このシリーズは北斎の「冨嶽三十六景」とともに、浮世絵の主流であった美人画・役者絵と並んで風景画の成立を宣言するもので、広重三十歳後半、1830年代半ばの名作となった。
その中でも最も傑作といわれるのは、一番初めに描いた出版元保永堂で刊行した「東海道五十三次」である。
この作品こそ爆発的売れ行きを見せ、広重をして一躍浮世絵界のスターダムにのし上がらせた。その理由は、先ずそれまでに描かれた「東海道シリーズ」には見られない最も大きな大判(約39センチx27センチ)というサイズで描き上げられていること、次にこの全五十五枚で完成している作品は「まのあたりそこに行たらむここち」にさせるものであった。その画面は変わりゆく宿々の自然と融和した旅に行く人々の姿を巧に活写し、しかもそれに朝焼け・霧・雨・雪・風のシーンを絡ませ、その中に叙情的な画面を見事に描き出した。これらは浮世絵風景画の初めての試みといえよう。
このシリーズは北斎の「冨嶽三十六景」とともに、浮世絵の主流であった美人画・役者絵と並んで風景画の成立を宣言するもので、広重三十歳後半、1830年代半ばの名作となった。
国際浮世絵学会会長 立正大学名誉教授
文学博士 山口 桂三郎
文学博士 山口 桂三郎